給料について考えてみました。
給料、一般にいずれかの会社なり組織なりに所属している人は、毎月、決まった日に給料が支払われていると思います。20代前半で社会に出て、給料が自分の口座に振り込まれていたとき、感動したのを覚えています。「え、こんなに貰えるの、と。」しかし普通に働いて、普通に日々過ごしていると、やがてその給料が払われるのが当たり前になり、特に何も感じなくなっていきました。そんな給料について、ちょっと考えることがあって、記事にしてみました。
1.給料、それはありがたいもの
こんな感覚、だんだんと薄れていくものですが、毎月決まって、入ってくる給料、それはとてもありがたいものです。勤めている環境によっては、給料が安いと感じたり、不満に思うこともあるでしょうが、ひとまずは、その給料のお陰で日々食べていっているわけです。もし無かったら、と考えれば、やっぱりあって良かったと少しはありがたみも感じるのではないでしょうか。
2.給料って、なんでもらえるんだっけ?
給料は労働の対価、確かにその通りです。でも本当にそれだけでしょうか。私は、公認会計士ですが、今は事業会社の経理部員として働いています。なので、話を事業会社の事務職に限らせて頂きますと、給料は労働の対価という性格に併せて、拘束時間に対する対価という性格も持っているのではないかと以前から考えています。
皆さんの会社にもいないでしょうか、「この人、会社で席に座ってPCのモニター眺めているけど、何をやっているんだろう?」という人。残念ながら私の会社にもいます。そして、そういう人の中には、結構高い給料を貰っている人もいたりするわけです。そんな給料って、勤務時間の間拘束されていたから貰えるもの、という以外に説明が付かないわけです。
勿論、することが山ほどあって、勤務時間=労働時間だよ、何を変なこと言っているんだ、と思う方も沢山いると思いますが。
3.給料、その性格は十人十色
給料の性格って、いくつかあるのでは?と考えています。例えば、
- 純粋に、労働の対価。労働の充実感もあり、仕事を楽しめている。
- 仕事として何かを成し遂げた成果に対する報酬。
- 仕事として物理的に何か作ったりしたときの対価。
- 仕事をしていなくても、拘束されていたから支払われる、拘束料。
- したくもないことをさせられる、行きたくもない所に行かされる、ことに対する我慢料。
簡単に5つ挙げてみましたが、1から3は望ましい形でしょうね。自分も本来こうありたいと思います。4と5は望ましくない形。これを整理したくて今回記事にしましたが、自分の給料に少なからずこの要素が入ってしまっているのです。自分の専門知識を生かして、取引の会計処理を考えたり、もっと会社に貢献している実感を得たいところなのですが、実際のところ、監査法人から監査資料として要求された伝票探しに半日費やしてみたり、間違ってる可能性なんてほとんどない伝票の山に、承認印を押したり。
今回の記事は、共感して下さる方もいれば、もしかしたら気分を害されてしまったかもしれません。でも、日本人の大部分を占める給与所得者の方が、「自分の給料って?」と考えるきっかけになれば幸いです。